護られた勘違い。
世界中からジプシーが集う”聖女サラの祭典”に5月25日に参加。


場所は南フランスの湿地帯カマルグ地方の港町
「サント・マリー・ド・ラ・メール(海から来たマリアたち)」
にて。
マグダラのマリアと共に南フランスに渡って来た女性は、
“マリア・ヤコベ(イエスの母マリアの姉妹)”
“マリア・サロメ(12使徒のヤコブ、ヨハネ兄弟の母)”
の2人のマリアと従者”サラ”であることは伝えた通りであり、これらの女性を祝福するお祭りが年に3回開催され、その中でも毎年5月に開催されるのが最大規模のもの。

「祭りは5月24日と25日と2日間に渡って開催され、聖女サラの祭りは5月25日に開催される」
と聞いて、この旅の1つの基準を
「サント・マリー・ド・ラ・メールの街に5月25日に訪れてサラの祭典を見学する」
と予定が決まり、そのスケジュールに合わせてクルーズ船を始めとするすべてのスケジュールがプログラムされたとのこと。
他の港ではなく”ローマ”からのクルーズ船を使うことが決まり、だからこそローマ教皇就任式ともピッタリ遭遇して予定外のバチカン訪問となったり、アトランティスの叡智が残るイビサ島の日輪瞑想もまた、このクルーズ行程だからこそ、イビサ島が入っていた偶然のような必然。

すべては”5月25日のサラの祭典”が基準だったからこそ、これらの天の采配が実現したのだけど、いざサラの祭典の祭りに参加して、神輿に担がれたサラの登場!というクライマックスの場面になると
「……これってサラ??」
まさかの2人のマリア人形が登場し、肝心のサラは出てこない。
なんとサラの祭典は初日に終わっており、我々は2日目の2人のマリアの祭典に参加していたという奇跡の勘違い…。
それも当日の神輿が出てくる瞬間まで気づかず。
もちろん今回の旅は、マグダラのマリアが主役であり、どちらの祭りもマグダラのマリアが絡むのでサラ主体の旅ではないのだけども、まさかまさかのツアー企画としては大失態。
どうも企画の宮崎ひろみさんと手配のツアー会社さんとの間で大きな勘違いがあり、我々はとにかく25日の2人のマリアの祭典へ参加する流れとなってしまったらしい…。
「それは残念だけど、でもお陰で奇跡のバチカンや感動のイビサ島に行けたから」
「きっとこの流れになった意味も後からわかるはず」
と、参加メンバーとも話していたら、その後に衝撃のニュースを知る…。


なんと前日24日のサラの祭典の最中に参加者同士の抗争が激化して銃撃戦となり、4人が負傷して2人が撃たれて重体でヘリでマルセイユに緊急搬送されたと。

集った数千人もパニックになり、みんな悲鳴とともに逃げ出してレストランや施設に避難する恐怖の事件。
しかも逮捕者が出ておらず逃走中で、犯人が捕まっていないまま超厳戒態勢で25日の祭りは実行されており、我々は何も知らないまま参加していた(やたらとライフルまでも持つ警察が多いなとは思っていた…)。
銃撃戦事件が発生していたことも知らないし、参加した祭りがサラの祭典ではなく2人のマリアの祭典であったことも知らず、とにかく色々知らないまま。
でも、少なくとも24日サラの祭典で銃撃戦が勃発していたのは事実であり、我々の勘違いがなかったら、間違いなく24日は現場に居合わせていたタイムラインも存在していた。
その場合、僕は戦争イスラエルも体験しているものの、参加されている方にとったら外国で銃撃戦に巻き込まれるのは恐怖でトラウマになるものであり、最悪の場合に流れ弾に当たって犠牲になっていたリスクもゼロではないもの。
なんともまぁ、あり得ない偶然のような必然の”勘違い”で護られる。
なんでもかんでも導きで済ませちゃいけないけど、これもまた天からの采配なのかも。
2000年前、イスラエルの地を追われて南フランスまで亡命して来たマグダラのマリア達の旅も順風満帆でなく、様々な苦難もあり、それも導きによって護られていただろうと感じる。
それにしても、本当に我が旅路は常にミステリー&サバイバルツアー。
すっかり意気投合して仲良くなったメンバーともさらにまた結束が強まるまま、最後のクライマックスとなる南フランスのマグダラのマリア最大のゆかりの地
「サントボーム(聖なる洞窟)」
へ。












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