西の果て長崎県は平戸島へ渡り、さらに西の果ての”生月島(いきつきしま)”へ。

まずは日本におけるキリスト教伝来の地の長崎におけるキリスト教始まりの地の平戸へ訪問。
そのさらにまた西へ行くと生月島という人口6,000人ほどの小さな島があり、ここは
「隠れキリシタンが最後にすんでいた島」
としても知られる。
1550年、キリスト教伝道師のザビエルにより長崎の平戸を中心にキリスト教の布教が始まったけど、ここ生月島は島民全員が一斉にキリスト教信仰に変わった日本の中のキリスト教が最も濃い島。
キリスト教弾圧の中でも、隠れキリシタンとして450年以上も島ではキリスト教信仰が続いた結果、なんとキリスト教から島の土着信仰が入り混じった多神教の独自信仰となり、それが故にバチカンから
「あれはキリスト教ではない」
と長崎エリアで隠れキリシタンの世界遺産からも切り離された謎の島となっているらしい。
僕自体、キリスト教とは無縁の人間だけど、10年前にポルトガルの”ファティマ”を訪れてからキリスト教の時代の1つの変化を強く感じており、バチカンの終焉とその背後に君臨する”黒い教皇”が支配するイエズス会の終焉は遠くないと確信している。
日本もまた明治維新や戦争によって欧米諸国、今は特にアメリカ支配や事実上の植民地化とも言われているけど、その背後にはさらにまたバチカン、イエズス会の存在もあり、今行われている世界的な大改革は、これら歪められたキリスト教支配からの卒業の流れでもあると思う。
臨時体験で人類の過去をリアルに見てきた木内鶴彦さんは、2,000年前に処刑されたはずのイエス・キリストは、双子のトリックによって兄の”イサヤ”は生き延びて最終的に日本にまで渡って来たのは間違いないと言っていた。
日本でキリスト教布教が始まったのも450年以上も前の平戸を中心とした長崎だけど、さらにその1,500年も前にイサヤもまた長崎から日本列島へと上陸している。
ただ、その場所は”諫早(イサハヤ)”であり、彼は長旅の疲れを小浜温泉にて癒したとも。
キリスト教伝来にしてもイサヤ伝来にしても、何かとキリスト(救世主)と縁が深い長崎。
でも、バチカンの役割の終わりとは、男性性支配の宗教時代から女性性主体の信仰時代への切り替わりであり、その軸には同じく2,000年前にイサヤとともに活動していたマグダラのマリアと呼ばれたユダヤ人女性の存在がキーとなる。
次なるヨーロッパの旅は、5月にいよいよそのマグダラのマリアの足跡が最も色濃く残る南フランスへ。
ご興味やご縁ありそうな方は是非ご一緒に。




ちなみに生月島は、隠れキリシタンの地だけでなく、ここには”水天宮”の小さなお社があり、ここは海の真横なのに真水の沼であって、この沼には神の使いとされる”白ウナギ”がいると伝説もある。
白龍の化身だろうか、水天宮には諸々ご縁深いのでご挨拶。

さらにそのすぐ裏にも”カッパ伝説”があり、この島には99体(人?)のカッパが存在しており、古い村人の中にはカッパと相撲をとったと語る人もいるほど生月島はカッパ伝説も有名。

さらにまた、このすぐ近くには”塩俵の断崖”と呼ばれる五角形や六角形の柱状の奇形岩が一部のエリアに連なっている。
溶岩大地の上に玄武岩が重なることで生まれた珍しい岩肌。
なんだか隠れキリシタンに隠れながらも島全体が隠れパワースポットのような…。
そして、最北端の岬まで行くと、北には対馬と壱岐島が見える。

最近また
「壱岐島、壱岐島」
とシンクロすることが多いと思っていたら、ここでついに見える場所までやって来たので、今年は再び壱岐島へも訪れる予定。
ここも女性性時代に必要な最重要地の1つであり、歴代卑弥呼が誕生する巫女の聖地なり。









コメントを残す