ナスカだけではない地上絵。
ナスカ時代は今から1,500年から2,000年ほど前だけど、ナスカの人々は、さらに500年前ほど前に隣の”パルパ”から移り住んできた人々と言われている。
そして、ナスカの地上絵が世界的に有名だけど、実は”パルパの地上絵”の方が、より謎も多く、より注目されている地上絵。

「では、そのパルパの人々はどこから来たのか?」
というと、遥か西の太平洋沿岸部の”パラカス”がルーツと言われており、このパラカスには”ペルーのリトル・ガラパコス”と言われる”バシェスタス島”がある。

マチュピチュから始まったインカを巡るペルーの旅は、そのルーツであるプレ・インカのナスカからパルパ、そしてパラカス、最終的にバジェスタス島まで巡る。

パラカスにも”地上絵”はあり、それは一般的には2,500年前のものと言われているが、その名も
「カンデラブロ」
と言い、その意味は見た目の通り”燭台”を意味する。
“燭台”と言えば、そのシンボルを持つ民族は唯一”ユダヤ人”であり、南米に来て、最後にユダヤとも繋がるシンボルが出てきたのは興味深く、また一緒に船に乗った乗客には”キッパ(ユダヤ民族衣装)”を被るユダヤ家族が乗船しており、やはりユダヤ人にとって、何か繋がりのある地である可能性は高い。
2,500年前かどうか、その真実は不明なものの、この燭台の地上絵は、フリーメイソンが絡んでいると言われている。
バジェスタス島に行く途中には、イルカの群れに遭遇し、現地にはチラホラとペンギンやアシカもいて、生態系がとても豊かであり、また強烈なパワーを感じる特殊な島だった。

パルカスの沿岸部には、フラミンゴを来ており、夕陽を背景にとても美しい景色がペルーにはたくさんある。









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