たきさわたいへいオンラインサロン「MAYIM(マイム)」

生い立ちシリーズ第十一話

(前回の続き)

311の震災直後の原発事故。

「メルトダウン」

これを政府が正式に認めて発表したのは、2011年5月、事故発生から2ヶ月後でしたが、自分のもとには現地情報が即時に入り、事故発生の直後である3月15日には山梨へと避難してました。

向かった先は、震災前にお世話になっていた甲府の七沢研究所。

首都圏から避難してきた自分たち一家を代表の七沢賢治先生は快く受け入れてくださり、甲府の研究所近くにマンションを借りて、突如として首都圏生活から一転、2011年4月から山梨県の甲府生活が始まりました。

まったく予期したなかった甲府生活。

地方都市とはいえ、東京に比べたら高層ビルも人口も少なく、住宅街の中にも田んぼが多くあったり、また盆地で周囲には美しい山々の景色が広がっている甲府は、震災後の混乱を落ち着かせるにはちょうどよい環境でした。

ただ、近年の夏は、日本一の気温として甲府はトップに出ることがあるほど夏は猛暑、冬は冷え込む土地柄でもあり、景色はよくても気候は決して住みやすいと言える場所ではなかったように思っています。

さて、避難から移住となったものの、事業開始して6日目で震災だったので、東京を拠点にした事業計画はすべて白紙にし、山梨県で今のやつはshopの前身となるネットショップを再び再開する形になりました。

幸いにも、七沢研究所は事業開始時からのお取引先であり、研究所内のオフィスの一角を事務所や配送センターとしてお借りし、毎日研究所に通って仕事をする日々が始まりました。

言霊学の権威者、天皇祭祀の伯家神道の継承者である七沢先生と昼夜問わず、毎日一緒にいながら研究や活動のお手伝いをすることになり、それはサラリーマン時代には考えられないほど充実した日々でありました。

時の与野党の政治家をはじめ、各界のお偉いさんが毎日のように訪れ、原発事故の真相、放射能のこと、社会情勢のことから様々な情報が飛び交って、多くの勉強をさせて頂きました。

そして、この頃から1日に数百人しか訪れないブログが、あっという間に数千人も訪れるようになりました。

「放射能とは」

「原発事故の真相」

「人工地震」

そういったキーワードによって情報検索をする人々が増えたようで、そういった中で当時において自分の書いた情報が検索エンジンのトップに出てくるケースが多く、この震災をきっかけに「天下泰平」ブログは一躍有名ブログとなってしまいました。

すると、七沢先生をはじめ、様々な大御所の方からも「情報発信メディア」としてブログを評価して頂けるようになり、より一層様々な情報が集まってくるようになりました。

七沢研究所は、この原発事故、放射能被害が出る以前より放射能を吸着する鉱物「ゼオライト」の研究をしている機関であり、七沢研究所もまた原発事故をきっかけにゼオライト研究所として有名となり、大忙しの日々でありました。

そんなバタバタな甲府生活をはじめて1ヶ月もしないうちに、事務所にアポイントもなしに1人の男性が訪ねてきました。

その方、お名前はSさんとしておきますが、事務所に来るなり「天下泰平さんはこちらですか?」とずかずか入ってきました。

50歳代か60歳くらいか、年齢不詳の小柄でニコニコ笑顔のスキンヘッドの男性。

Sさん「私は実はレイキにおいては世界的に有名な人間であり、また世界中を旅して様々な聖者と会って来た元お坊さんです。大事なお話があります。泰平さん、日本を救いませんか?」

ニコニコと笑顔で語る不思議な男性。

Sさん「ご存知のとおり、今日本は大変な状況です。取り返しのつかない原発事故、そして放射能汚染の被害。そこで泰平さんは、春ウコンとゼオライトを普及してますね。これは放射能にはとても効果が期待できると思っています。これらの商品を日本中に広めませんか?」

滝沢「(怪しいビジネスの勧誘か・・・)」

そう思ってお引き取り頂こうかと思っていると、今度は携帯の中に入っているいくつかの写真を見せてきます。

Sさん「これはサイババのところにいたとき、これはマザー・テレサと会った時。これはオバマ大統領にメールした内容です」

確かにそこには、マザー・テレサと一緒に写真に写っていたり、様々な聖者と交流を持っているような写真がいくつもあります。

Sさん「私の師匠は、五人娘などの自然酒で有名な寺田啓佐(てらだけいすけ)さんです。寺田さんの親友に斎藤ひとりさんという日本一のお金持ちがいます。彼に商品の普及を手伝ってもらいましょう」

そう言って、今度は寺田さんのご自宅へ突然電話を始めます。

ところが、奥さんらしき方が電話に出て、なんだか困っている様子・・・。

滝沢「(なんだこの人・・・)」

だんだんと怪しいというより、この謎の人物に好奇心が湧いてきて、もうちょっとお話だけでも聞いてみようという気になりました。

滝沢「まぁ、春ウコンやゼオライトはまた今度にして、あなたは一体何者なんですか?」

こうして話を聞いていると、Sさんは、普段は老人ホームで介護のお仕事をされている50代中盤の独身男性であり、お住まいは八ヶ岳の麓の小淵沢という場所であるとのこと。

滝沢「小淵沢?」

そういえば、都内にいた頃に電車の中刷り広告で「小淵沢」という名前は目にしたことがあるような気がする。

滝沢「なんだっけ・・・リゾナーレ??」

リゾナーレというホテルがあるところで有名な場所というくらいしか、当時の自分は小淵沢、そして八ヶ岳という場所の知識はありませんでした。

Sさん「私が八ヶ岳へ来たのは、もう今から20年近くも前。八ヶ岳の清里に知花敏彦さんという聖者が住んでいました」

滝沢「知花さん?」

Sさん「その知花先生は、清里のペンションで毎日講話をしており、私は知花先生のもとで学ぼうと八ヶ岳に移住してきました。ただ、知花先生は2009年に亡くなってしまい、その後も門下生達は八ヶ岳に住みながらそれぞれ生活をしています」

滝沢「八ヶ岳ねぇ・・・」

Sさん「そうだ。泰平さんは、木内鶴彦さんという方を知ってますか?彗星探索家であり、臨死体験で有名な人です」

滝沢「名前はどこかで見たことがあるような気がしますが、ほとんど知らないです」

Sさん「今度、長野県の佐久市で木内さんのお話会があります。是非ご紹介したいのでお越しください」

滝沢「はぁ・・・」

こうして2011年4月25日。

待ち合わせ場所である八ヶ岳を人生初めて訪れたのは、あの木内鶴彦さんがきっかけでありました。(続く)

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