たきさわたいへいオンラインサロン「MAYIM(マイム)」

生い立ちシリーズ第一話

(「生い立ちシリーズ」は過去の“やつはメールマガジン”のコラムで書かれた【たきさわたいへい】自伝物語の一部となっております)

本日で3月も終わり、明日から4月です。

都会でもすっかり春の気配が漂う中、ここ八ヶ岳は3月最終日になんと雪。

ただいま雪が降って積もり始めています。

よりによって明日からは、農園講座の塾がスタートするという時にまさかの雪ですが、

この時期の雪はそんなに降り積もるものでもないので、きっと夜半までには止むことでしょう。

さて、3月は卒業の季節、4月は入学の季節でもあります。

我が息子も卒園式を無事に済ませ、春から小学生。

最初の子供ということもあってか、なんだか親も小学校に入学する気分で少しドキドキします。

でも、我が人生を振り返ってみると、一番楽しかったのは小学生時代だったなとよく思い返します。

とにかく勉強より何よりも、遊ぶのが大好きな子供であり、学校でも家に帰っても、ただ遊ぶことだけしか頭にない小学校時代であったと思います。

そうそう、きっと子供がスマホをいじったり、ゲームにはまって心配になっている親御さんも多くいると思いますが、かくいう自分は子供時代はかなりのゲーマーでした。

自分の小学校時代にはファミコンとゲームボーイが全盛期であり、特に途中からはスーパーファミコンも出て子供がゲームに取り憑かれていた時代です。

「ゲームばかりやると目が悪くなる」

「頭が悪くなる」

「現実とバーチャルの世界の違いがわからなくなる」

そんなことも散々言われてましたが、自分の家では長時間できなければ、規制が緩い家庭に入り浸って散々ゲームをやりまくり、ゲームボーイに至っては、寝床に持ち込んで夜な夜なやりこむほどハマってました。

自分がゲーマーだったからといって、子供がゲームをやることを強く推奨するわけではありませんが、ただ巷で大騒ぎするほど、ゲームには弊害だけが付きまとうものではなく、メリットも多くあると思っています。

あまりにものめり込みすぎてバランスを崩しては元も子もないですが、うまく遊びの1つとしてコントロールできるようになれば、これほど脳のトレーニングになるもの、人生にとって役立つものはないと思っています。

というのも、自分にとって、サラリーマン時代の仕事の楽しみ方も、今のように起業して会社をいくつか作って運営したり、様々な事業を展開するのは、リアルの世界におけるゲームであって、そのベースは子供時代に養ったゲーム感覚から生まれています。

ゲームというより、遊び全般においては寝食も忘れるほど夢中になるタイプであり、今も仕事やプライベートの境もなく、生活や人生そのものを楽しんでいるのは、すべてを「遊び」と同じスタンスで捉えているからです。

ブログを書くのだって、仕事だったら3日ももたないですし、もともと文章を書くのも好きでもなく、得意でもありません。

たまたま今は遊びのような趣味みたいなものとなって楽しんでいますが、どちらかといえばすぐにあきらかすタイプでもあり、いつ突然に書くのをやめるのかもわかりません。

事業や会社も同じであり、作るまではプラモデルを作る子供のようにワクワクしてますが、完成してしまうとすぐに次のことに目が行ってしまうので、そうならないように、今は会社経営なども遊びの要素を多々いれて、日々飽きないように自分で工夫しています。

ドームハウスなんかも、別に誰に自慢したいわけでもなく、またこれで事業を始めたいとかもなく、ベースとなるのは「ただ、面白そうだからとにかく作ってみたい」と思っただけであり、それが結果的に事業となったり、多くの人に注目されたりと、遊びや趣味の延長線上に今の人生でやっていることの多くがあります。

さてさて、そんな泰平さんの小学生時代は一体どんなものだったのでしょうか。

まず、自分は言語で説明されるのが恐ろしく苦手であり、特に大人の男性、教師の言うことなどいくら説明されてもそのまま理解できず、一度自分なりにイメージに変えて、さらに自分の言葉で変換しないと、授業の内容がさっぱりわかりませんでした。

なので、小学校もそうですが、中学校、高校、大学も含めて、まともに先生の話をじっと座って聞いていることはほとんどありませんでした。

では、小学生の時は授業中に何をやっていたかといえば、ひたすら教科書やノートにいたづら書きをしていることが多く、しまいには机の上もいたづら書きだらけで、迷路を書いたり、漫画を書いたり、とにかく授業とは関係ない、自分の世界を自由に楽しんでいました。

小学生の高学年にもなれば、机の上に鉛筆で書いた独自のゲームシステムを構築しており、休み時間にもなれば、みんなが机の周りに集まって、鉛筆で作ったサイコロとか使って、独自のゲームで遊んでいたものです。

また家に帰っても1人遊びも永遠とするタイプであり、特に絵を書くことや漫画を書くことが低学年の頃から好きでした。

3人男兄弟の末っ子ということもあり、家の中に山ほど漫画があって、小さな頃からほとんどの少年漫画は読み尽くしましたが、やがては読むだけでは収まらず、自分で漫画を描き始めたのです。

最初はジャンプなどの漫画を見よう見まねで真似して書き、その後は自分の妄想のストーリーが頭でどんどん出てくるので、それを自分の絵で漫画にして物語にし、それがいくつものタイプが出てくるので、途中から自分でオリジナルのジャンプのような冊子を作るほどでした。

ただ、インドアの遊びだけでなく、アウトドアも好きでした。

雨が降れば、1人で道路の脇にある排水溝に葉っぱをいくつも流してレースを始めたり、山に行けば勝手に基地を作ったり、木に登っては危険な遊びをして、自転車をこぐようになれば、遥か遠くの街まで旅にも出ていました。

どんな遊びをしていたかを振り返ると、いくらでも書けるほど本当に遊びしかしておらず、一歩学校の勉強の方はどうだったかと思い返すと、まったく先生から教えてもらった記憶が残っていません。

これで成績が悪かったら親からも散々言われていたと思いますが、実は学校の成績は割と良いほうで、中学生にもなると、内申は9教科で常に40以上もあり、推薦である程度はどこでも行ける状況でした。

なぜ、授業がわからずとも成績がそれなりに良かったかといえば、小・中学生ほどの学習内容であれば、自分で独学で勉強すれば教えてもらわずともなんとでもなったからです。

幸いにも記憶力だけはあったので、記憶教育の日本では相性もよく、テストの点だけは良かったのでした。

そんなこんなで、子供の頃から親や先生の言うことをすんなり聞くタイプでもなく、学校のルール、一般社会の常識などハナから無視しているような人間だったので、それがそのまま大人になって、普通に社会に出て勤められるわけもなく、今の状況になっています。

そもそも、自分の未来は絶対に社会に適合できないと思っていたので、20歳頃には将来は独立することしか考えておらず、親にも「俺は普通のサラリーマンにはならず、自分が好きなように自由に生きる」と宣言していました。

血を引き継いでか、我が家の6歳の息子もかなりのゲーマー。

もちろん、時間的な制限など管理もしてますが、それよりも何よりも、6歳とは思えないほど高度なゲームを完全にマスターしており、6歳の頃の自分よりもはるかに上級者であります。

ゲームに対してアレルギー反応を示す人にとっては「せっかく八ヶ岳にいるのに自然に触れさせないと・・・」と思うかもしれませんが、ここは一歩庭に出たら大自然であり、否が応でも自然と触れ合う機会はあります。

いずれにしても遊びはバランスが重要で、決してゲームそのものはすべてが悪影響とは限りません。

使い方次第では、問題解決能力、発想力がついたり、物事をやり抜く自信、持続力や集中力もついたりもします。

とにかく、ゲームに限らず、子供には勉強だけでなく「遊び」を自分なりにたくさん経験してもらいたいものです。

そして、大人となった我々も、今は再び童心に戻ることが大切であり、子供の頃にワクワクしていたことがライフワークとなる場合もあります。

是非とも4月の季節の変わり目のタイミング、心機一転、童心の頃の自分に戻り、大人になったからといって制限せずに、遊びにの感覚で新たなことにもチャレンジしてみてくださいね。

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