たきさわたいへいオンラインサロン「MAYIM(マイム)」

生い立ちシリーズ第四話

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第二のサラリーマン時代(東京編)

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(前回からの続き)

2007年1月より、大阪から移住して東京での社会人第二の人生が始まりました。

新卒で入社した旅行代理店は、従業員数5000人以上もいる割と大きな会社でしたが、

第二新卒で転職した東京の会社は、従業員数30人ほどの小さなベンチャー企業。

設立から4年目の新しい会社でしたが、急成長中でとても勢いがありました。

事業内容は、よくある人材サービス業。

自社で登録のある人材を求人募集している企業に紹介したり、企業から求人広告をもらって自社の求人サイトに掲載するといったサービスを展開していました。

ただ、一般的な人材会社と少し異なるのが、登録している人材はすべて障がい者。

身体障がい、知的障がい、精神障がいと、障がい者は障がい者手帳によって大きく3つのカテゴリーに分類されていますが、この会社で主にサポートをしていたのは、重度や軽度に問わず、この中でも身体障がい者でした。

身近に障がい者がいるわけでもなく、これまでもそういった福祉関係のボランティアなどにも関わったことがなかった人間が、突如畑違いの人材会社、それも障がい者を持っている人の就労サポート。

なぜ、自分がそういった福祉に近い分野に関心を持ったかといえば、基本的には、せっかく働くなら自分が納得いなかいモノやサービスを作る・売る仕事よりは、少しでも世の中にためになる仕事をしたいと思ったからです。

後から考えたら安易でしたが、障がいを持っている人の就労サポートといえば、それはイメージだけでは自分の中では社会貢献と繋がるものがありました。

また、障がい者に限らず、誰もが幸せに豊かに働ける社会を目指すのも自分の中の目標にあり、それは新卒でわずかに社会に出ただけで、この社会の生きづらさ、働きにくさはそれなりに体感したので、仕事を通して世の中に何か変化を与える活動をしたかったからです。

そして、もう1つ大きな理由となったのは、障がい者の中でも精神障がい者へのサポートにも強く関心があったからです。

前回のメルマガでもお伝えしたと思いますが、自分は脳科学、心理学を独自に研究していた人間であり、その中で当時から問題になっていた精神障がいや精神疾患、いわゆるうつ病や統合失調症などのメンタルに関わる問題にもライフワークとして関わりたいと思っていました。

当時はまだ、精神障がいを持った人の社会の受け入れは進んでおらず、一方でうつ病患者をはじめ、精神的なトラブルを抱える人は年々急増している状況でした。

現在は、身体障がい者で360万人、知的障がい者で54万人、精神障がい者で320万人となっているようですが、潜在的な精神疾患を抱えている人は、1000万人から2000万人とも言われています。

この精神疾患の急増の背景には、現代社会のストレスもありますが、衣食住をはじめ、薬を中心としたケミカル生活、電磁波などの環境問題も関与しています。

ただ、そういった三次元な原因だけでなく、もっと深くは霊的な部分、魂にまで及ぶ原因が影響していると自分の中では確信を持っていたので、自分の研究していた超心理学の分野を仕事にも生かせるのではないかと考えました。

この会社に勤めたのは、2007年1月から2011年3月まで。

ここでの丸4年間の仕事はとても充実していました。

会社の雰囲気もとてもよく、自分自身も第二新卒というほぼ新卒入社に近い形でしたが、ここで営業活動を中心にビジネススキルを相当鍛え上げられ、メキメキと成長して成果を出し、入社から2年目には全社員の中のMVP賞をもらうほど、成績は抜群に良い結果を残しました。

残業は月10時間未満のほぼゼロで、営業成績は圧倒的な売り上げでトップをキープ。

実は営業にしろ仕事で成果を出すにも“コツ”があり、本来はそういった営業ノウハウなどの本も書きたいのですが、なぜかビジネスとはまったく違うオカルト本ばかり書いている気がします・・・。

余談にはなりますが、障がい者雇用の就労サポートは、単なる人材会社の枠を超えて、かなりの知識と経験、問題解決能力や企画力が必要であり、営業の中でも本格的なコンサルティング営業が必要でありました。

つまり、ただ自社のサービスや商品を売るというスタンスではなく、相手が抱えている問題や課題を見つけ、それに対して解決策を提案し、信頼と得てお仕事の依頼を受けるといったものです。

ちなみに企業は、法律において障がい者をある一定数雇用する義務があり、従業員数や業種によって、その割合は変わってきます。

大きな会社ともなれば、何百人もの障がい者を雇用していなくてはならず、それはハローワークだけでは、なかなか採用をまかなうことができずに、こういった民間の障がい者雇用専門業者が必要となるのです。

また、今まで障がい者雇用をやってきたことのない企業もコンプライアンスの観点から障がい者雇用を始め出した時期でもあり、会社としては入社からずっと追い風で次々に大きな企業との取り引きも始まりました。

自分は新規開拓の特攻隊長みたいなものであり、設立数年の小さな会社でありながらも、遠慮なく超大手企業に連絡をしまくり、そこで人事部に入り込んでヒアリング、企画書を作ってプレゼンして、4年間の在籍期間だけでも、相当数の大手から中小企業との取り引きを成功させました。

その中でも自分が得意としたのは、外資系企業。

どちらかといえば苦手なのが、頭の固い古い日本の企業であり、そういうところは年配の男性人事部長とかで話が進むのが遅いのですが、外資系は女性担当者や責任者が多く、またベンチャー企業でも偏見を持たずにしっかり話を聞いてくれるので、とても相性が良かったと思います。

そんな中、2008年に新規で開拓した有名外資系企業と大きな取り引きになり、そこは自分にとっても大きな人生の転機になりました。

それはリーマン・ブラザース証券。

ご存知のとおり、2008年9月に全米だけでなく、全世界を震撼させた「リーマンショック」を引き起こした張本人であり、このリーマン・ブラザースは、自分の大切なお取引先でありました。

リーマンショックが起こる数ヶ月前より、自分はリーマン・ブラザース内部に入って社内のコンサルティングをやっており、各部門の責任者を集めてプレゼンなどもやってすっかり仲良くなっていました。

そして、具体的な契約も終わり、様々なサービスを取り入れて頂いたのですが、その支払いがまだ残っていた2008年9月、突如テレビに流れてきた「リーマン・ブラザーズ倒産」のニュース。

出社してすぐに先方へ連絡するも、当然ながら担当者達も何もわからないパニック状況であり、あれよあれよと不良債権となり、結局会社にとっても痛手となってしまいました(最終的には時間をかけて未払いを回収しましたが)。

ただ、この「リーマンショック」による不景気は、人材会社にとっては苦難の始まりであり、その中でも一般採用より優先度が低い障がい者採用の市場は急速に低迷し、それから数年間は会社の業績は非常に大変な状況となりました。

そんな中でも自分の営業成績は極端に落ち込むことなく、会社にはそれなりに貢献し続けましたが、それ以前に自分の中ではリーマンショックが大きなきっかけとなり、この世界経済、金融社会の水面下で一体何が起こっているのかが気になってばかりいました。

その関心の答えを見出したのは以外にも早く、リーマンショックから1ヶ月後のあるイベントの参加でした。(続く)

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