たきさわたいへいオンラインサロン「MAYIM(マイム)」

生い立ちシリーズ第二話

(「生い立ちシリーズ」は過去の“やつはメールマガジン”のコラムで書かれた【たきさわたいへい】自伝物語の一部となっております)

4月は入学シーズンということで、前回の小学校シリーズから続いて第二弾、

自分自身の中学生時代について少しお伝えできればと思います。

ところで、まず自分は現在は八ヶ岳南麓、山梨県の北杜市に住んでいますが、

もともと八ヶ岳をはじめ、山梨県は縁もゆかりもない場所です。

というのも本籍は秋田県秋田市で、今も先祖のお墓は秋田にあります。

これは父親の家系であって、母親は石川県羽咋市、それこそUFOのメッカである神子原(みこはら)の限界集落出身です。

その2人の親から生まれた三人男兄弟の末っ子であり、8歳上と3歳上の兄が2人いますが、父親が転勤族であったので2年に1度のペースで引越しをしており、一番上の兄など悲惨で2年ごとに転校で小学校を3つも通っています。

単身赴任となったのは、埼玉県入間市にやってきた時であり、当時の自分は6歳になる年長さんの時でした。

そして、入間市の小学校に通い、入間市の中学校を卒業しています。

今でこそ、少しだけ街並みも発展してきましたが、当時の入間市はお茶畑しかないのどかな田舎町であり、

一方で中学校は大荒れで、いわゆる不良が数多くいた中学校でありました。

小さな頃から運動もできて、どこかリーダー的な立場にいた自分は、すでに小学生の頃から中学生に目をつけられ、

小学校6年の頃には「中学に入ったら覚悟しておけ」と脅されていて、中学校の入学がとても嫌だったのを覚えています。

案の定、入学してから早々に呼び出されて殴られたりと、かなり厳しい洗礼の始まりでしたが、

いかんせん子供の頃からタフな心身もあって、それくらいのことではへこたれず、気づけば不良グループの先輩達の仲間に入れられている状況でした。

今でこそ、街を歩いているとブログ読者の方に「滝沢さんですか?」と聞かれてサインを求められる嬉しいこともしばしありますが、当時は街を歩いていると「お前が滝沢だな?」と呼び止められ、いきなり喧嘩を売られる悲惨なことも多々ありました。

ただ、幸いにも学校や親に対する責任はなかったものの、サッカー部に入ってサッカーだけは真面目にやっていたので、問題を起こして周りに迷惑をかけるのは避けたく、基本的には殴り合いの喧嘩はしませんでした。

当時、驚異的なトレーニングをしていて筋力と体力に有り余っており、下手に殴ってしまうと相手をどこまで傷つけてしまうかの心配もありました。

なので、話し合える相手なら話して喧嘩せず、なるべく仲良くなってその場をしのいだように思えます。

また、代々荒れている中学校であったので、同級生の中でも不良の道を歩みかけた仲間もいましたが、幸いにもみんな自分にとっては幼なじみのような存在であり、自分には良い意味で逆らわずに話を聞くので、彼らを間違った方向へはグレさせないように自分たちの学年だけは、弱いものイジメもない平和的な時代を作りあげました。

とはいえ、法律に触れないギリギリアウトのことは何でもしており、自分自身もまた中二で髪を染め始め、中三で部活もやめたら酒やタバコにも手を出し、バイクに乗って夜遊びに出かけたりと散々してました。

その頃の悪友のほとんどは、中学を卒業した後は事件などを起こしてしまい、多くが少年院へと行くことになりました。また先輩達の多くも、ドラッグへと走ってしまい、新聞・テレビ沙汰の殺人事件にまで発展して大騒ぎになったこともあります。

自分自身はといえば、喧嘩やドラッグは興味がなく、ただ自分らしく自由に生きたい衝動だけがあり、

変にグレても未来もないし、真面目に勉強して社会に出てもつまらない人生だし、一体どう生きていこうかと迷っていた時期だったと思います。

幸いにも前回お伝えしたとおり、記憶力はよく、中学生くらいの勉強は独学ですべて理解できたので、

授業をまったく聞かずとも、テストでは100点をとったりと、成績だけは常に学年トップクラスに良かったものです。

「こんなもの学んでも意味ないな」

そう思いながらも、田舎を飛び出し都内の自由な学校への憧れもあって、仕方なく成績は良くしておいて、推薦で中央大学の附属高校へと進みました。

理由としては、都内の私立学校の中でも制服もなく髪型も自由であり、何よりもバイクを乗るのもOKだったから。

あと兄弟を見ながら受験戦争のバカらしさを遠目で見ており、余計な勉強は中学までで終わらせ、あとは高校と大学と附属のエスカレーターで進んで、その期間に遊べるだけ遊ぼうと思ったからです。

そのため、自分は中学校以来、まったくまともに勉強したことがありません。

推薦で高校も入って、附属で大学もエスカレーターなので、いわゆる一般受験は一度もしたことがないのです。

そして、高校に入ったらもはや勉強はそっちのけとなり、頑張ったサッカーも辞めて、バイトやバンド活動、他にも様々な遊びに明け暮れ、そのまま大学へと進んでいます。

大学に入ればもっと勉強しないどころか、ついには学校はほとんどいかなくなり、奇跡的に卒業できた1人としても知られています。

そんな人間が2005年4月、今から12年前に社会人となって働き始めたのだから、今でも驚きです。

普段壇上にも立たせてもらい偉そうなことを言ってますが、知識レベルは小学生と変わらないか、小学生の方が優秀であり、今でも中身は幼い頃の感覚からまったく変わっていません。

「泰平さんって、30代とは思えないほど落ち着いているよね」

そう言われることも多々ありますが、むしろ小さな頃からこんな感じであり、容姿だけ子供で中身はおっさんかおじいさんだったのかもしれません。

こんな人間でも、今は親となり人並みには世の中に役立って生きようとしているので、子供が多少グレていても、他の子供と違っていても気にせず、子育て中の親御さんは、是非とも個性を伸ばす子育てをしていって頂けたらと思います。

社会人編はまた、どこかで時間があればお伝えしますね。

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