2010年春から通い始めた「生体エネルギー実践研究会」という講座。
これは長野県の東御市の山奥にある生体エネルギー研究所で毎月開催されており、金曜日と土曜日だったので月に1度会社を休んで首都圏から通ってました。
ここでは「想造量子宇宙論」という学問を学びます。
この理論の提唱者は、生体エネルギー研究所所長の佐藤政二さん。
船井幸雄会長が認めた天才の1人であり、目に見えない世界、あの世の世界を因数分解したと言われる佐藤先生は、農業の連作障害(同じ作物を同じ場所で栽培していると収量が落ちる)を解決する中で生体エネルギーを発見し、それを体系化してあらゆる産業へ生かしています。
目に見えない世界への情報にアクセスして現実に影響を与えることができる生体エネルギーでは、農業であれば「白い人参」を作ったり、他にも情報を変えて「トマトの形をしたナス」なども作ってました。
この物質世界の情報を扱える生体エネルギーは、様々な産業に生かされ、有名なところでは「神様の宿る家」という本がベストセラーとなり、住宅産業にも応用されて健康住宅がたくさん作られました。
ちなみにドームハウス建築にも生体エネルギーの住宅資材は使われており、基礎工事をはじめ、地下室のコンクリートなどに生体エネルギーの水を混ぜていて、コンクリートから体を癒すエネルギーが放射するように調整してあります。
鉄筋コンクリートの家やマンションもそうですが、基本的にコンクリートは体を冷やすし、生物にとってマイナス要素が多いので。
またEXILEという音楽グループのATSUSHIが熱心な生体エネルギーファンであることは有名であり、EXILEのコンサート会場でも、この生体エネルギーの技術は至るところに使われているようです。
さて、そんな生体エネルギーの勉強会に通い始めて何度目か、1人の参加者の方と仲良くなり、その方にある日に東京にあるカフェでのイベントに誘われました。
「オーラカフェの今度のイベント行くの?」
「オーラカフェ??なんですかそれは?」
どうやら東京の汐留に「オーラカフェ」という、なんとも都心に似合わない摩訶不思議なカフェがあり、そこではオーラ測定をするだけでなく、定期的にゲスト講師が来てスピリチュアルなセミナーイベントを開催しているようでした。
「別に自分はいいですよ・・・」
基本的に人見知りであり、この勉強会だって純粋に学問や技術を学びたくて、そこまで仲間作りなど期待していたわけではなかったので、そのオーラカフェのイベントも興味はなかったのですが、なんだか強引に誘われ、とりあえずオーラカフェへ後日伺うことになりました。
最初に伺ったイベントのゲストは誰だったのか、もう忘れてしまいましたが、そのオーラカフェは、当時の首都圏にいたスピリチュアル好きな人たちの溜まり場となって、とても賑わっており、行けば普段の生活の中では出会わない不思議な人たちがたくさんいて、いつの間にか自分も仕事帰りによく顔を出すようになりました。



すっかりオーラカフェの常連の1人となった2010年夏の終わり頃、当時に仲良くなったメンバーの1人に佐々木重人さんという方がいました。

「地球コアにまで響き渡るコトダマ 天皇祭祀を司っていた伯家神道―秘儀継承者七沢賢治がえがく新創世記」(徳間商店)
こんな本を書いていた作家の方です。
「天皇祭祀・・・」
このキーワードが何か自分の中に引っかかるものがあり、この本に出てくる伯家神道(はっけしんとう)、そして、この秘儀の継承者である七沢賢治先生という人にとても惹かれていました。
七沢先生は、船井幸雄会長の著書やHPの中で何度か登場してきており、古神道の秘儀の継承者で言霊研究の第一人者の天才であると紹介されていたのを覚えていました。

その七沢先生の弟子である佐々木重人さん。
「1度、七沢先生にお会いしてみたいなぁ」
そんなことを思っていたものの、自分は単なるサラリーマンで何の力も知識もなく、当時書いていたブログも趣味のレベルであり、読者数もほんの僅かで、とてもお会いして何かお話ができる立場でもありませんでした。
何より七沢先生の拠点は、山梨県の甲府市。都内にいて簡単に行けるような場所でもありません。
ところが、自分の中で不思議なシンクロがあり、実は甲府にはその年の春から毎月1度通っていたのでした。
というのも、当時は千葉市の海浜幕張に住んでいたのでしたが、里帰り出産の病院が山梨県甲府市であったのです。
それも調べてみると、七沢先生の事務所から目と鼻の先とも言える近距離に通院先があり、これも何かのご縁と思って、思い切って佐々木さんに「七沢先生をご紹介頂けますか?」とお願いしたのです。
「俺から連絡はしないけど、俺の名前を使ってアポイントを取るのはいいよ」
と言われたので、すぐに七沢先生の事務所へ連絡したのでした。
すると七沢先生が直接電話に出られ、特に自分が何者かもよくわからないのにも関わらず
「まぁ、どうぞ一度来なさい」
と訪問させて頂く許可を得たのでした。
その数日後、七沢先生の訪問日の直前に佐々木さんにお会いする機会があり、そこで
「おかげさまで七沢先生とお会いできることになりました」
そう報告すると
「え?いつ?よくアポイント取れたな?」
そんな回答が返ってきました。
「・・・どうしてですか??」
どうやら驚くべきことに、自分がアポイントを取るために連絡をした翌日、佐々木さんと七沢先生は方向性の違いで大ゲンカの上で完全に決別してしまい、以後その関係は修復していないほど深い溝が出来ていたのでした。
事実上、破門となってしまった佐々木さん。
その佐々木さんの仲間であり、紹介者として訪問する予定の自分・・・。
「(これってかなり気まずいんですけど・・・)」
今考えたら、自分との約束をキャンセルされてもおかしくはないほど激しい決別だったのですが、それにしても人と人の巡り合わせは本当に不思議なものであり、あと1日でも七沢先生に連絡するのが遅かったら、とてもアポイントなんて取れる状況ではありませんでした。
他にも生体エネルギーの勉強に通っていなかったら、そこで嫌々でもオーラカフェに行ってなかったら・・・、むしろ、その誘ってくれた方が強引に誘ってくれなかったら。
佐々木さんと出会ってなかったら、里帰り出産の病院が別の病院だったら・・・考えたらキリがないほど、人とのご縁というのは、すべて仕組まれて動かされており、人生において出会うべき人とは必ず出会えるようになっていると思っています。
そんな出会いであった最初の師である七沢賢治先生。
ビビりながら門戸を叩き、初めて七沢先生にお目にかかったのは、残暑が残る2010年9月のこと。
そこで古神道の審神者(サニワ)である七沢先生に降りた1つのメッセージ。

「統留(すばる)」
お腹の中のプレアデスから来た魂が、突如、七沢先生に送ったメッセージは生まれてくる自分自身の地球での名前でした。(続く)













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