(前回の続き)
2011年3月11日。
東京での会社員勤務も終えて自由の身になって1ヶ月、また生まれた息子が里帰りも終えて同居しても1ヶ月、そして3月5日に起業して6日目が経った日でした。
その頃、子育ての関係もあって、拠点を実家のある埼玉県の入間市という郊外へと移してました。
「出産から3ヶ月が過ぎ、3月11日は息子も連れて東京に出かけようか」
こうやって決まった2011年3月11日は、実は子供が生まれてから初めて家族で都心へとお出かけをした時だったのです。
ベビーカーをゴロゴロ押して初めての電車へと赤ちゃんを乗せて1時間弱、最初に向かった先は下北沢にある整体院。
自分も起業したばかりでしたが、同じタイミングで知人も整体院を開業したばかりであり、お祝いと息子の顔を見せに訪問したのでした。
ランチも下北沢で済ませ、夕方に自分は渋谷で打ち合わせがあったので、お昼の時間を渋谷で買い物しようという流れになりました。
そして、下北沢から渋谷に移動したのは、もうお昼もだいぶ過ぎて14時30分頃。
人混みに溢れる渋谷の街中をベビーカーを押してのんびり歩いていると、ふと脳裏に都心のビル群がゆらゆら揺れている光景が浮かびます。
「(これは新宿?なんでこんな映像が??)」
そう思いながら、その視えたビジョンを隣にいた家族に伝えていました。
「こんなところで今、地震が起こったらやばいよね」
そんなセリフを発した直後、突如始まった大きな地震の揺れ。
「えぇ?本当に??。それにしてもこれは大きいな・・・」
目の前にそびえる渋谷のビル群が、まるで豆腐のように柔らかいものがグニャグニャ動いてみえて、今起こっている地震が普通の地震でないことを物語っていました。
渋谷の街は、あちこちのビルから悲鳴とともに大勢の人が路上に飛び出して騒然としており、それでもおさまらない地震に皆が不安を抱えて高くそびえるビルなどを見つめています。
実は、その時の瞬間を動画で撮影しており、それはYouTubeで見れます。
この中の後半で「言ってたとおりだね」というセリフが入っていますが、それが前述した新宿のビジョンのことです。
ちなみに3ヶ月の息子はベビーカーの中でぐっすり睡眠中であり、もちろん地震の揺れの中も爆睡、周囲が騒然としていてもずっと眠ってました。
「小さな子供もいるし早く帰ろう」
一旦、揺れもおさまったところで来た道を引き返して駅に向かいながらも、携帯のネットを使ってどこでどんな地震が起こったのか調べてました。
そして、出てきた表示にびっくり。
「宮城県?震度7??」
スクランブル交差点で信号待ちをしている時に思わず口に出してしまいましたが、すると目の前の女性がくるりとこちらを向き、
「宮城なんですか?私は宮城出身なんです!」
そうやって現地にいる家族のことを考えてとても不安になってました。
かくいう自分自身もまた、宮城県仙台市生まれ。
東北家系の我が家は、親戚も仙台に多くいて、自分の頭の中にもそういった人々の顔が頭に浮かびました。
「おじさん、おばさん大丈夫かな・・・」
そんな心配をしながらも、渋谷駅に到着すると、まさかの電車は動かない。
「そりゃそうか、東京も震度5強とかなり揺れたもんな」
それでも、そのうち復旧して電車もまた動くだろうと思っていましたが、そこからが、今まで体験したことのない東京での異常事態のサバイバルが始まったのです(続く)。













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