「私たち1人ひとりがフィンドホーンなのよ」
コミュニティメンバーのベテランがそう言ってたけど、これもまたフィンドホーンの真実だと思う。
フィンドホーン滞在も6日目、すでに10名以上の人々をインタビューし続けて分かって来たことの1つに
「フィンドホーンコミュニティは全員で1つでもあるけど、1人ひとりもフィンドホーンである」
ということ。
必要な時に必要なメンバーでギュッと繋がり合うこともあれば、多くは個々の生活リズムやスタイルを大事にしており、日々コミュニティ全体で動くというよりは個々で生きている感じ。
でも、本当にコミュニティメンバーは仲が良く、深いところでみんな繋がり合っている家族を超えた同志の魂であり、フィンドホーンコミュニティは、エコ・ヴィレッジとしての在り方には多少課題もありつつも、コミュニティとしては非常に素晴らしい成功を収めたモデルだと思う。
企業の寿命よりも遥かに短いコミュニティの寿命は、早いところは数年、10年、20年続けば長い方だけど、フィンドホーンは60年を超えている老舗コミュニティ。
昨晩、コミュニティのこれまでと今、そして未来についてを描いたコミュニティメンバー作成のフィンドホーンドキュメンタリー映画を見せてもらうことになった。

夜開演の時間となり、コミュニティホールに続々とメンバーが集まって来たけど、そのほとんどが年齢的には60歳、いや70歳を超えていそうなシニア層だった。
80歳以上の人もちらほらいるような感じ。
映像の中には、若い頃の彼らの姿も出て来たけど、コミュニティ創立から繁栄期のメンバーの顔ぶれを見ると、みんなとても若い。

20代、30代前後にフィンドホーンにやって来て、共同生活をしながら荒野を開拓し、数名から始まったのが、少しずつ数十名のコミュニティとなり、気づけば数百名の巨大コミュニティに変貌していた。
僕がインタビューした多くの人々は、この当時20代や30代のバリバリだったメンバー達であり、そして僕が彼らに会った印象は、彼らはまだその頃のまま気持ちは変わらず、年齢だけ重ねたけど、バリバリの頃のまま今も健在しているエネルギーだった。
凄いエネギッシュな見た目だけシニア層のフィンドホーンを作って来たレジェンドメンバー達。
「ここはエンディング・ヴィレッジなど作らなくてもすでにエンディング・ヴィレッジなんだな」
そんな風に微笑ましく見ながらも、一方でまたそれよりも下の世代、次世代の姿があまり見えないのが気になった。
もちろん若い人達やちっちゃな子供も少なからずはいるけど、フィンドホーンの大部分はシニアコミュニティであるように見える。
「バトンの引き継ぎは出来ていたのかな…?」
その答えは、今のところ聞いている感じでは”NO”という感じ。
何度も伝えているけど、ここフィンドホーンは本来は長く居座る場所ではなく、もともと通過点となる場所であり、そこまで定住型コミュニティの設計は深く考えられていなかったのかもしれない。
「大きくなり過ぎて爆発したんだ」
これもまたインタビューの中でそう答えていた中枢メンバーがいたけど、今のフィンドホーンは本当に多種多様な人々が入り混じって来ていて複合コミュニティの集合体に成りつつある。
ある人数規模を超えるとコミュニティも仕組みをそれなりに整えないと、制御不能となり、自然にバラバラになってしまうことをフィンドホーンから教えてもらった。
縄文人の村もまた、人数が増えて50名以上まで成長すると自然に分裂して距離を置いて別のコミュニティとして離れると聞いていたけど、これは今の時代のコミュニティ運営にも大きなヒントになると思う。
集落から村、村から町に。
今のフィンドホーンは町となりつつあり、かつてない変革期に迫られているけど、新しいフィンドホーンとして生まれ変わるのは間違いないと思う。
種から芽が出て成長期もあり、綺麗な花を咲かせる全盛期もあれば、やがて花もまた自然と枯れて役割を終えるもの。
旧フィンドホーンは、その時代に必要なモデル社会を生み出し、1つの成功をおさめたのは確かであり、それは本当に尊敬に値するもの。
でも、世の中も大きく時代が移りゆく中で、フィンドホーンもまた新しく生まれ変わるタイミングであると思う…。
これは僕の意見というより、コミュニティメンバー全員が口を揃えて言っていた。
今回、かなりたくさんのインタビューなどを通して、恐らくこれまで誰も突っ込んで来なかったフィンドホーンの裏ヒストリーや実情をキャッチできたと思う。
細かく話すとキリがないので、これはまた僕らのコミュニティ内でシェアしながら、僕らは僕らで参考にさせて頂き、これからに生かしていきたいと思う。
まだ少しだけフィンドホーン滞在は続くけど、すでに得られる学びはかなり多い。












コメントを残す