苦行6年。
“悟り”を得るために、シャカ族の王子の地位を捨て出家したシッダルタ王子(悟り前のお釈迦様)は、当時のバラモン教修行者と同様の厳しい修行を遂行することを決める。
悟りを求めて向かった先は、インド北部にあるブッダガヤの岩山”前正覚山(ぜんしょうがくさん)”であり、この岩山の中腹にお釈迦様が断食を行った小さな洞窟
「留影窟(りゅうえいくつ)」
がある。











岩山生活では、食べ物は基本的にお布施のみ、衣服は人々が捨てた布を縫いあわせた糞掃衣を纏い、そして洞窟の中で断食修行などを行う”苦行”を6年間続ける。
これは現地に冬の今訪れるとよくわかるけど、ブッダガヤは北インドのビハール州にあり、少し北に行けばヒマラヤ山脈があるように、とても寒い場所。
朝晩はとにかく冷え込むのに、ここにボロ布切れ1枚で食べ物も満足に食べず岩山に籠るのは自殺行為…。

長年の苦行により筋肉はそぎ落ち、体はしわだらけになり、目はくぼみ、皮膚は荒れて黒ずみ、骨や筋や血管の一本一本がはっきりわかるまでになったお釈迦様。
そして、苦行に苦行を重ねた結果
「この修行法(苦行)では悟りに到達することは不可能である」
と結論づける。
これに対して
「やっぱり苦行なんて意味がないんだ」
と簡単に言えるものでもなく、まずお釈迦様の”実践する”自ら”体験する”という姿勢は素晴らしいもの。
やってもいないのに
「苦行では悟れない」
とは言えず、当時のお釈迦様にとっては苦行のプロセスも悟りへの道に必要不可欠なものだったのかな。
人生もまた、お釈迦様の岩山断食とまでいかずとも、人によっての苦行はそれぞれ。
学生時代にいじめられる、ブラック企業での社会人生活、相性の悪い結婚生活、長年の病との闘い…などなど、どれも渦中にいる時は地獄のような苦行かもしれない。
でも、振り返れば、どれも今の自分にとって必要不可欠なプロセスであり、やっぱり人生はプラスとマイナスですべてゼロになって帳尻が合うように設計されていると思う。
さぁ、極限のハード体験の次は、究極の癒しであるスジャータの元へ。













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