スジャータの乳粥。
後にブッダ(覚者)となるお釈迦様は、6年間の岩山苦行を挫折して、ナイランジャラー川で沐浴を済ませた後、岸に上がり瞑想に適した場所を求める。
そこで、あるご神木の
“ガジュマル(ベンガルボダイジュ)”
の樹下に座り瞑想を行う。
そこにたまたま現れたのが、この村の長者の娘スジャータ。
スジャータは男の子に恵まれるよう村のご神木に毎日祈りを捧げ、この日も同じように”乳粥(ちちがゆ)”を供えようとやって来た。
そこに苦行で激痩せしてボロボロとなり、死にかけているお釈迦様を見て、その乳粥を施す。
“女性から食べ物を供養される”という行為は、修行者としては、あってはならない出来事であり、お釈迦様も1度は断る。
その時、スジャータの詩(農夫のつぶやきとも)で
「弦は強すぎると切れる。弱いと弱いでまた鳴らぬ。程ほどの調子にしめて、上手にかき鳴らすが良い」
という北インド古典弦楽器シタールの取り扱いを聞き、お釈迦様は”中道”を悟り、有り難くスジャータの乳粥を食べることに。
5人の苦行仲間の修行者達は、その姿を見て幻滅してお釈迦様を見放して隣国へ去る。
一方のお釈迦様は、このスジャータの愛のこもった乳粥をきっかけに死に際から回復をし、やがて菩提樹の樹下にて悟りを得ることに。




悟りを開いたブッダガヤの菩提樹と乳粥を得た”ガジュマル(ベンガルボダイジュ)”は別の場所であり、スジャータ村には、この乳粥を得たと思われる地に
「スジャータ寺」
という小さな寺院があり、ここに代々受け継がれてきたご神木が祀られている。
苦だけでも、楽だけでも人は悟れない。
男だけでも悟れず、ここに女性であるスジャータの存在が大きな意味をもたらしている気もする。

「陰でも陽でもいいんだよ~ 」
我らのブッダ高島亮さんは、ここで十八番(オハコ)の”いんだようダンス”を奉納。
乳粥を施される。
風の時代本番となる2024年。
男性性と女性性の統合により、1人ひとりが悟りを開く覚醒時代に。













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