キブツ米基金(みんなで実現する理想郷づくり・3億円クラファン)

地球とご先祖様と両親を経て、この地上でお借りしている体

あれから丸3年。

3年前の今日、2021年1月22日は奈良県の神社参拝中に僕は鼻血が止まらなくなり、1リットル以上出血して瀕死となった。

この参拝そのものが、奈良に祀られている(封印されている)とも言われる”饒速日(ニギハヤヒ)”と呼ばれた古い出雲王の神の様々な御霊(みたま)を回収する大切な神事であった。

これを”呪いだ”の”祟り”だの言う人もいたけど、僕の感覚は違っており、1つは長年無理をし続けていた身体の限界の声であり、また1つはより本来の自分になるための合図だと感じた。

僕は生まれた直後に感染症で高熱がおさまらず、母から引き離されてカプセル保育となり、母乳を届けて病院に通うほど体が弱い新生児だった。

当初、長くは持たないので”覚悟を”とまで宣告されていたようだけど、なんとか持ち直して無事退院。

とはいえ、現代医学では解明出来ない症状だったため、大きな病院の研究対象となり、そこから2歳になるまで医療費無料で定期検査で研究されるほどだったそう。

その後も肉体は頑丈でも中身は弱く、6歳頃から

「自分は長くは生きないだろう」

と死生観を持つようになり、10代の頃には様々なアレルギー症状も発生し、そこで薬漬けとなってから20歳を迎える頃に薬害による急性肝炎で死にかけ、その時に

「いよいよ人生なんてこんなものかな」

と思っていたから、小さな頃からエンディング・ヴィレッジに必要な”死と向き合う”というのは無意識に実践していたのかもしれない。

ずっとオマケの人生だと思っていたから、何かを失う恐怖心はあまりなく、せめて世の中に役立つことをやってこの世界を去れたらと、日々そう思って発信活動も16年、会社経営も3社まで増えて14年目と休まず走り続けて来た。

そんな自分をかえりみず、外にばかり意識を向けて来たツケが3年前に起こったメッセージとギフトだと思う。

地球とご先祖様と両親を経て、この地上でお借りしている体。

ちゃんとケアしてメンテナンスして、最期まで綺麗に使い切って返さないと申し訳ない。

そして僕の調子が良くなり、幸せになることで、より多くの人を幸せに導き、世の中に貢献できるのであれば、やはり自分を大切にするのは最優先で欠かせないもの。

絶望からのオマケとして見ていた40年間以上の死生観は一度捨て去り、希望に溢れた死生観を持って、これからは自分を大切に新たな活動へと後半の人生はチャレンジ。

今日でピッタリ1ヶ月間におよぶアーユルヴェーダの体験も終了。

たくさんの気づきと変容を頂き感謝。

なぜかインドの地元YouTube番組からアーユルヴェーダ体験の取材を受ける。

「アーユルヴェーダはとても素晴らしいものだから日本にもこれからもっと伝えていきたい」

そんなことを答えたけど、アーユルヴェーダをはじめ、人々が健康で幸せに生きられる社会づくりをこれからやっていきたい。

安心して”死ねる社会”を作ったら僕も安心して眠ろう。

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