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ブッダガヤから足を伸ばして”ラージャグリハ(ラージギル)”へ

ブッダガヤから足を伸ばして”ラージャグリハ(ラージギル)”へ。

35歳で悟りを開いたお釈迦様は、そこから80歳で入滅までの45年間、インド国内を布教活動で歩き回り、その中でも布教の中心地であったのが”ラージャグリハ(ラージギル)”。

ここには、仏教史上最初の寺院となる”竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)”とお釈迦様が晩年説法をしたことで有名な”霊鷲山(りょうじゅせん)”がある。

どちらもブッダガヤに引けを取らない素晴らしい聖地。

さて、お釈迦様の足跡を辿る旅は、ここで一旦終了。

ベナレス(最初に説法)、ブッダガヤ(悟りの地)、ラージギル(布教の拠点)とお釈迦様2500年前の足跡を辿ってきたけど、2000年前に同じくお釈迦の足跡を辿っていた人物がいる。

それがイスラエルからやって来たユダヤ人”イッサ”であり、後に彼はイエス・キリストと呼ばれた人物。

インドをはじめ、チベット古代寺院では、この”イッサ”の12歳から29歳までの生涯が隠されている。

公開された古文書(聖イッサ伝)による、イッサは僕がアーユルヴェーダを受けていたグジャラート州のまさに同じエリアに滞在していて、その後東インドへ旅立ち、まさに今回の旅に立ち寄ったベナレス、ブッダガヤ、ラージギルは訪れている可能性が高い。

今は一時的にイスラエルから距離が出てしまったけど、僕はイスラエルだけでなく日本でもイエス・キリストの足跡を辿り、インドに来てもイエスの存在が近くにいる。

もちろん、このイッサのルートは、この旅を企画したメンバーは一切知らずに決めており、僕らのインドの旅の最後はデリーであり、イッサもデリー付近に立ち寄った形跡を残している。

イッサは12歳でインドにやって来て、最初は西インドでジャイナ教を学んだ。

その後、東へ来てからバラモン教(ヴェーダ)を学び、やがてカーストに反発したため命を狙われ、北上して仏教を学んだ。

そして最後に使ったのはヒマラヤ奥地。

ここでイッサはイエス・キリストに仕上がり、再びイスラエルの地へ戻る。

そこからガリラヤ湖から始まる奇跡の布教活動がスタート。

イエスも辿ったお釈迦様の足跡も学んだ仏教。

僕もまた、たくさんの刺激やインスピレーションを受け取った気がする。

そして、いざ大都市デリーへ。

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